Lan Meliang-liang!!     「大好きBALI!!」のHAPPY BALI

大好きBALI!!メンバー達のHAPPYなバリ島生活を中心に地元の情報を発信します。Lan Meliang-liang!!(バリ語:楽しい事しましょう!!)

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シリーズ:バリ人化について語る⑦polosなわたし。。。。

ユダさんがマス村の村長になってようやく1年が過ぎた。
そして、私もマス村の婦人部(PKK)の代表になってやっと1年が過ぎました。
1年前ある日突然、心の準備もなく村の仕事をするようになった私ですが、とにかく始まった当初は、いったい村の仕事とは?PKKとは?ラパットとは?ブパティ?グブヌル?
いったいだれ?本当に何から何まで新しい単語だらけでインドネシアと言う社会の仕組みすら分からず、途方に暮れていました。


まず、村では何かラパット(会合)やセレモニー等の予定が入ると手紙が家に届きます。これが前もって1ヶ月前なり、せめて1週間ぐらい前に知らせてくれればいいのに、何と殆どが前日に届く。。。ひどい時は、その日の朝に届いたりする。
それは、言わば招待状の様なもので予定の内容・場所・時間・その日の服装等が書かれていて、それによって村のスケジュールが日々こなされているのです。最初は、届いた手紙の意味さえ分からず、取りあえず言われた通りの時間に言われた通りの場所へ言われた通りの服装で行って、ようやく予定も半ば過ぎた時点で、その日のスケジュールの意味を把握する、そんな毎日でした。いや、今でもそんな状態が続いています。正直言って!
届く招待状を次から次へとこなして行くうちに半年が過ぎたころ、PKKのイブイブ達から「IbuユキはPolosだ。。。」と誰しもが言うようになった。ポロス(素直とかおとなしいとかの意)。。。ポロス。。。 私が、ポロス??


ある日こんな事があった。ウブド郡長の退官式のセレモニーがウブドのツブサヨにあるプラダラムで行われた。ウブド郡の各村長達、各村のバンジャール長、ウブドの警察庁、軍隊、村の銀行LPD幹部達、各村のブンデサ達(宗教の長)や、マンクー達プムダ(青年団)の代表達等、錚々たるメンバーがその日そこに集結していた。
もちろん、私も顔なじみの各村のPKK代表を待っていたのだが、、、
ウブド郡のPKK代表で参列したのは、なんと私だけ。。。???
お隣のロットゥンドゥーのBapakに聞くと「僕が来ているから奥さんは来ないよ!」
はぁ???そんなものなのか??

こんな事が一度や二度ではなく頻繁にある。
もちろん、皆さんは思われるでしょう。村長に聞けば?と!
私もちゃんと聞いている。だが、「自分が行きたければ行きなさい。」
その一言で終わってしまうのだ。全く。。。
ユダさんと言う人となりをご存じの方は頷いて頂けると思う。><
村のPKKのリーダに聞いても、「もちろんイブが行って下さい。」と言われる。
だが、実際行ってみると各村のPKKの代表が来ているのは私だけ?
と言う事が度々あるのです。その他の村は、村のPKKのリーダー達だったりします。
なぜ??
誰か教えてほしい!!この行事は、そんなに大事じゃないから、まあ~サボってもいいよ。とか、これは大事だから絶対に抑えないと!とか、手を抜こうにも抑えようにも選別のしようがない。

なぜなら、全てが初めてでその予定の意味すら分からないのだから。。。


ポロスなわたし。。。
そして、ポロスにならざる負えない私。。。


この1年、自分なりに良く頑張ったと自分をほめてやりたい気持ちでいっぱいだ。選別しようのない行事を一つ一つこなし、半分以上分からないバリ語の社会に放り込まれ、良く1年間やって来れたものだ。しかも、この1年でジャワ島古都ジョクジャカルタとスラウェシ島のクンダリへ2回も公務に出かけた。バリ人ばかりの中で。。。
そして完全ではないが年間を通して、マス村のウブド郡庁・ギャニャール県庁・州知事との関わりや村がどんな事で動いて、どんなふうに活動し、どんなふうにミーティングし、どんなふうに団結していくか、分からないなりに見て来たつもりだ。
バリヒンドゥーの社会を!

そして、1年が過ぎてようやくこなす行事の内容がおぼろげながら少しは分かって来たように思う。今年6月から2年目に入る今期は、私も招待状の選別なんかしたりして
「これはリーダーが行って下さい」とか強気な発言が出来たりするのだろうか??


いやっ やっぱり、ポロスかも。。。。><


「マス村PKK(婦人部)後半6カ月の軌跡」

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1月半ば頃に行われたロンバデサ(村の大会)環境や健康面、村の活動などを評価する大会がインドネシア全土で開催されます。大会当日ロンバが終了してマス村のPKK達と前ウブド群長夫人と前ギャニャール県庁夫人との記念撮影。

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1月末日、村で行われたマス村の観光問題についてのミーティング。マス村は、木彫りの村としても世界的にも有名ですが、殆どの観光客がウブドへの通り道でしかなく通り過ぎてしまう事が多いので、いかに観光客が立ち寄ってくれる村、宿泊をしてくれる村にしていくか話し合いました。一番大切な外国人の意見を聞いてくれる人は一人もいませんでした。。。TT

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2月初め当時のギャニャール県庁夫人とギャニャールPKKや公務員達で出かけた古都ジョクジャカルタ。この時もギャニャール県内で村として選ばれたのは私だけ。現地に着いて初めて知りました。ジョクジャカルタで何度も全国大会(ナショナル)のロンバデサでトップを取っている村への視察と交流が目的でした。

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こういう交流会には、必ずその土地の特産品、ご当地物が品評されます。お菓子やクルプッ(お煎餅)等

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そして、その交流会が終わるとジョクジャカルタ市内観光へ。イブイブ達はお買い物に夢中。。。そんな中、近頃全く訪れることが出来なかった我が青春の街ジョクジャカルタ。10代の頃から始めたジャワ更紗、バティック。その魅力に魅せられて修業時代を過ごした街でもあります。懐かしいマリオボロ通り。イブイブ達の目を盗み、当時足しげく通ったワルン:チレボンで大好きだったエス・コピヨルを飲みながら、私は思いにふけるのでした。バティックの為に通ったこの街に今度はPKKとして訪れようとは、誰が想像出来ただろうか。。。

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2月末デンパサールにて行われたロンバ。写真中央の州知事夫人を囲むバリ州のPKK代表達。ここで初めて州知事夫人にお会いしました。

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3月中頃、もうすぐ任期を終えようとしていたバリ州知事がマス村のバンジャール・タルカンへ来訪。次の州知事選にも続投を考え既に出馬していた州知事。この頃、頻繁に各村を訪れていたようです。村側もわざと通りづらいデコボコ道のある場所を会場にし、村の実態を訴え村への支援金を訴えました。(州知事:ゴルカルと副州知事:PDIとの対決でしたが、激・激戦の結果、現州知事の続投が決まりました。)

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3月末日、何とマス村のバンジャール・ニュークニンが環境&健康の部門でバリ州でNO.1に輝きました。ニュークニンは、ウブドからも近くえっ本当にマス村なの?と思う人も多いかと思いますが、れっきとしたマス村の一つのバンジャールなのです。実は8年前にもバリ州でNO.1に輝き全国大会では3位に輝いています。この日は、新しいギャニャールPKKの代表(新しいギャニャール県長は、奥様が他界されているので副県長夫人がPKKの代表です)が仕切って、ナショナル大会に向けてのPVの撮影の為にニュークニンに集結しました。ギャニャールPKKの代表、若くて綺麗な方ですね。

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そして4月初め、今度はジャカルタのPKKナショナルチーム(審査員)を迎えてのセレモニーがニュークニンで開催されました。私達PKKのコーラスからセレモニーは始ります。これも毎夜かなりの練習が続きました。

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そしてマス村村長のスピーチ。

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ナショナルチームの審査員達にアピールするべくウブド郡庁やギャニャール県庁そしてバリ州のPKK代表達。錚々たるメンバーがこの日会場に集結しました。水色の服を着られた方がバリ州知事夫人です。村長や私も視察の為、村を案内させて頂きました。

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ナショナルチームの視察セレモニーが終わって、一息をついた頃にイブイブ達とクルンクンの市場へお買い物に出かけました。イブイブ達の制服を作るのにイカット生地を購入する為です。ジャワ島では正式な時はバティックの服。そして、ここバリ島はやはりイカットなのです。

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6月中頃、村の事務所で開催された歯の講習会。デンパサールから専門技師を招いての無料診断で歯のチェックをしてくれました。

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6月末、マス村のプムダ(青年団)の誕生日及び代表の新旧交代のセレモニー

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そして6月末、4月初めに行われたあのロンバデサの結果、、、何とマス村がナショナルで3位に輝きました。その表彰式の為、スラウェシ島のクンダリまで、またまたバリ人ばかりの中で行くことになりました。真夜中のフライト、ウジュンパンダンでの深夜のトランジット、冷たいベンチで仮眠、早朝のクンダリ到着。バリ島から8時間も掛かるなんて。。。日本へ帰れてしまいます。食べ物は、朝・昼・晩、パダン、パダン、そしてパダン料理。最終日は、全員一致でバッソを食べて帰りました。

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クンダリでは、大きな展示会が同時に開かれていました。バリ島の出展ブースも設けられ、州のPKK達が管理をして運営されていました。表彰式では、別の部門で同じく3位になったデンパサールの村のPKK代表とクルンクンの代表と3名が参加しました。ここでブルーのナショナルの制服のスカートを忘れてしまった私。クルンクンのイブが同じ黒のスラックスをわざと履いてくれました。><

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7月半ば、村のPKKの年間のプログラムとして奉仕活動や運動など様々なプログラムをこなしていくのですが、7月からは村の老人会の方々の体操(スラム)に2週間に1度参加することが決まりました。ここでユダさんのお母さん(イブ)がトップで仕切っていた。村長の母親も村での仕事に力を尽くしているようです。

その他バンジャールでのオダラン、各バンジャールのプムダのオダラン、ギャニャールで行われたPKKのセミナーやジャランサンタイ等々。。。先週末は、夕方からの体操、夜は22:00ごろまでテガルビギンのプムダのセレモニー、翌朝早朝6:00からタルカンで行われたジャランサンタイ。週末になると特に忙しい。

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今もこうして書いている最中、明日の朝8:30にウブド群庁に行って下さい、と秘書からの連絡。お昼からはプラ・ダラムでのセレモニーが入っている。 ふっ~~


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| お祭り | 00:09 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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シリーズ:バリ人化について語る⑥たかがサロン、されどサロン!

バティックに携わって20年以上が過ぎるが、その殆どがバティックを創る制作での日々でした。小さな小物から振袖や訪問着・帯等の着物やのれん・額絵や掛け軸まで様々な作品を手掛けて来ました。ところが、気がつくと意外にも自分で描いたバティックのサロンが手元に残っていない。。。。
(Kain Sarung:カイン(更紗布)の端を縫い筒型としたものを通称サロンという。カインは、筒型に縫わないものを言うが、現在一般的に男女の腰布の事をサロンと言う。)


バティックを初めて間もない頃、バティックの生産地:ジョクジャカルタに滞在中、バティックを教えてくれた職人さん達が呟いていたのが、今でも耳に残っている。
「私達は、毎日コツコツ細かなモチーフを描いて素敵なバティックを仕上げるけれど、1枚も自分で描いたサロンを持っていないの。なぜなら、手描きバティックは私達には手が届かないから。。。」
当時、まだ若くバティックの美しいモチーフに魅せられて、ただただ夢中だった私が、その言葉の意味するバティックの背景に、初めて触れた現状でした。

素晴らしい手描きバティックに全世界の人々が魅了される。
魅了されるのには、訳がある。
それは美しいモチーフにもあるが、彼らの日々の生活や時間をかけて一つのものを完成させる忍耐力や精神力があるからこそだ。
それが、布に味わいとなって醸し出されている。
自分の描いた布を身に纏う。
簡単な事のように思うが、私達制作者にとって意外と難しい。


近頃は、村の仕事も増えたので度々、Pakaian Adat:正装をする機会が増えた。
サロンを巻き、クバヤを着る。バリに暮らし始めた頃、お寺へスンバヤン(お祈り)へ行くとなると支度に小1時間ほど掛かったので、良くユダさんに叱られたものだ。

たかが2m弱の1枚の布だが、これを自分の身体にぴったりと合うように巻くには、なかなか難しい。
日本の着物でも着慣れない人と着慣れている人は、見ればすぐ分かると言うが、サロンも同じくサロンの巻き具合で、バリ人かバリ人でないかがすぐ分かると言う。
マス村の婦人部の代表になって早半年。フォーマルな場所での出席が殆どで、当初はクバヤのスタイルやサロンの丈の長さまで一つ一つ村の秘書から教えてもらい、IbuIbu達にもアドバイスを貰いながら、ここ半年何とか行事をこなしてきた。
近頃では、ようやくIbuIbu達に「Ibu YUKI、Sudah Orang Bali!」
私のサロンを見て、言ってくれるようになった。


たかがサロン、されどサロンだ!そこに人々の営み、人生がある。
美しいモチーフが描かれた2m弱の1枚の布を自分の身体に自然に巻けるようになるには、このバリ島の空気とドゥパ(お香)の匂いを身体に浴び、村やお寺へ通い続ける日々の生活の中でようやく身につく嗜みなのだと思う。

時間をかけて仕上げる何とも言えない味わい深いバティックの様に
サロンもまた、巻く人間の日々の営みが姿となって現われる。
私も巻いた布がぴったり身体の一部になるような、そんなIbuになりたいと思う。



「マス村PKK(婦人部)6カ月の軌跡」

8月:ギャニャール県庁、婦人部からバリ人の食生活改善の為のセミナー
ウブド群にある各村では、海からも遠く魚介類を食することが少ないので、子供たちの発育問題からこの日はミネラル豊富な海藻を使ったお料理の実習会でした。
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9月:バリ島の家庭内で起こる様々なトラブルを改善・援助をする団体のセミナー
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9月:2日間に渡り、デンパサールで開かれたバリ島の精肉に関するセミナー
精肉の取り扱いや衛生について、またインドネシアで有名なハム会社の工場見学等。
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10月~11月:母の日(ハリ・イブ)のイベントに向けてのIbuIbu達のコーラスのレッスン風景
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12月:母の日(ハリ・イブ)の前に開催されたジャラン・サンタイ前日のIbuIbu達のスンバヤン
PKKの何かの行事がある際は、必ずお寺へまずお参りに行きます。
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12月:母の日(ハリ・イブ)の前に開催されたジャラン・サンタイ
自転車等のプレゼントが当たるくじのクーポン配布や各村の有志達に寄付を募る活動など、この時期かなり大忙しのIbuIbu達でしたが、何とかジャラン・サンタイを成功させました。
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12月:母の日(ハリ・イブ)のイベント
PKKによるコーラス、みんな2カ月前から練習したおかげで素敵なコーラスを披露しました。
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そして、、、、
今まで何とか公の場でのスピーチをかわしてした、わたくしでしたが、さすがにIbuIbu達がメインの行事でスルーすることは叶わず、何とかカンペありでやり遂げました。スピーチ終了後壇上から降りる際、力が抜けたせいで転びそうになる不始末。。。><
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12月年末:1月に開催されるIbuIbu達のロンバ(大会)ミーティング
毎年、バリ全土で開催される様々な種目で競い合いバリ島1のIbuIbu達を決める大会です。未だ、詳細不明。。。
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| お祭り | 12:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シリーズ:バリ人化について語る⑤流れのままに・・・

しばらくご無沙汰だったこのシリーズ。日々の雑多な仕事に加え、お祭りやら何やらでかなり忙しい毎日を送っていた。それに加え、私を取り巻く環境がここ数カ月でがらりと変貌したからだ。

まずは、子供の存在。はっきり言って私はそう若くない。
40を超えての子育ては思った以上に肉体的にかなり厳しいところがある。
昼間は仕事があるので家族やスタッフが面倒を見てくれているが、問題は夜。
2時間おきに愚図り、体力が有り余っているのか暴れ倒し、ようやくミルクを飲んで寝てくれる。Susu(おっぱい)の出ない私は、彼が起きるたびに新しいミルクを作り続けるのだ。

だから、私はかなり痩せた。病気かと思うぐらい急激に痩せたが、原因はおそらく睡眠不足かと思われる。人は寝ないと死ぬと言うが、どうやら本当らしい。

時には、なかなか寝てくれない彼にイライラして滅入り、抱っこしながら夜中、涙を流すことも正直あった。だが、精神的にはかなり満たされている。彼のおかげで、学ぶ事、救われる事、人の本能と言うのを知る事が出来る。そんな瞬間を実感するたびに、肉体的な負担をひとつひとつ埋めてくれるのだ。


そんな中ようやく子育てにも慣れ落ち着きだした頃に、ある日突然、夫がマス村の村長になってしまった。以前から村長選挙に出たいとは言っていたので、突然ではないと言えばそうだが、私にとっては突然にひとしい。
なぜなら、そんな事があり得るはずがないと思っていたからだ。夫には言えないが・・・

ところが、それが現実になった。本当になってしまったのだ。5月初めの選挙日、開票が終わって夫が圧勝したと分かった瞬間から本当にめまぐるしく状況が変わり、そして感情も変わって行った。

まずは全く夫を信用していなかった悪妻のわたし。心の中で夫に謝りました。これからは信用しなかった分、多少の支えになる事を決心したのです。ところが、私が考える多少の支えは、ここバリでは想像を絶するものでした。日本で言う内助の功ならぬ、一歩下がった奥ゆかしく慎ましやかな支えのはずだったのですが、私の中のキャパスティーをかなりオーバーした世界だったのです。


バリでは、男社会と女社会がはっきり分かれている。言わば、役割分担が完全に違うのだ。
村長は、バリ語でPrebekelインドネシア語でkepala Desa (KDS)。
村の婦人部Ibu PKK(Pembinaan Kesejahteraan Keluarga) は、ほぼ自動的にその村長の妻がKetua PKK Desa(婦人部のトップ)として就任する。

そんな。。。聞いていない。インドネシア語もままならない私。ましてやバリ語の飛び交うディープ過ぎる村の仕来たり等、少し長くバリに居たからと言って外国人の私が、きちんと役目を果たせるはずがない。

そこからが、私の新たな苦悩が始まった。
夫の当選後から就任式までの約1ヶ月、先の見えない村の仕事とイブイブ達との関わり、そんな様々な事を考え過ぎてか私は、この頃かなり体調を崩した。ある夜、思いつめた私は深夜、夫の枕元に立ちバリ人としてまだまだ未熟者の私がこれから先、マス村のPKKのトップとしての役割を果たせるはずがない。どうか辞めさせて欲しい。と泣きながら懇願した。
びっくりして飛び起きた夫だったが、次の瞬間いかにも役人らしい口調で、君はノモール・サトゥ(NO1)ではなく、ノモール・ドゥア(NO2)です。IbuPKKとしてやれる自信があるならしても良いけれど、今よりもっと忙しくなるし、おそらく無理でしょう。と言ったきり再び寝入ってしまった。

え~~飛んだ取り越し苦労だった私。ようやく肩をなでおろし、元の穏やかな日々が戻った。
そんな矢先、就任式前日に急きょ、夫から呼び出され2人で村の事務所へ行く事になった。村のイブイブ達の代表達に夫がバリ語で懇切丁寧にスピーチをした。妻がバリ人ではなく外国人である事。アガマヒンドゥーの何たるかもまだ理解出来ず、マントラも唱えられない妻がPKKのトップとしての役割を果たせない。しいては、イブイブ達の間でそのトップを決めて欲しい。と、夫と共にお願いしたのだった。

ところが、その若き次期村長の熱意に感動したのか、あろうことか
「何を言うのですか、Prebekel。Ibu KDSは貴方の妻Ibu Yukiしかいない。分からない事があれば、私達がフォローするから勉強しながら私達と共にマス村の為に頑張りましょう。」

え~そんな。。。ここでようやく夫の策力に気が付く私でした。
こちらから頭を下げ、助言を求め、許しを請いながらもあの屈強なイブイブ達に理解だけでなく、惜しみない協力をも約束させてしまったのだった。いかにもバリ人らしいやり方で!
我が夫ながら恐ろしい。。。
そうやって夫は、村長になるべく気がかりな問題を一つ一つ解決し、土台を固め、就任式を迎えたのでした。
I Love Mas★ユダ放浪記


その後どう喚き倒しても無理と悟り開き直った私は、この誰にでも体験できないであろう立場を味わう事にした。
それからというものこの1ヶ月でもIbu PKKとして度々活動の機会があった。
クリニック・マスで行われたインドネシアビジネスレディのグループ「IWAPI」が主催する「ビジネスレディによるストレスフリーなビジネス」と題して、インドヒンドゥーの有名なシスター:Meera Nagananda女史を招いたメディテーションの講演会。バンジャール・サットリアによる若者たちのロンバ(大会)式典。その他、PKKの定期ミーティング等。かなり忙しいスケジュールを今のところ何とかこなしている。

現に今も村の役員達総勢120人程でバスを3台借り切って、パダンバイの海を見下ろすお寺にスンバヤン(お祈り)しながら交流会の為、庭園の美しいタマン・ウジュンへ向かうバスの中で書いている。今では、たくさんの人達の前でインドネシア語でのスピーチまでこなしている。もちろん、カンペありで!


村長夫人になる為にここバリに来た訳ではないけれど、
バリのイブイブ達の人生を刻む、あのアンケンの上にたくましくのしかかる背中のぜい肉にかけて、今後私も微力ながらマス村の為に力を尽くしたいと思う。

あの美空ひばりの名曲が心に染みる今日この頃だが、
私もしばし、流れのままに生きてみよう。


マス市場の前の村の役所
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いざ、タマンウジュンへ
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BapakBapakのスンバヤン
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タマンウジュンのバレでの交流会
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最近とても美しくなったタマンウジュン
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皆の前でスピーチを終えてリラックスするマス村の村長です。
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| お祭り | 19:04 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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シリーズ:バリ人化について語る④アルジュナの死

ごく最近とても親しい知り合いのバリ人が、ある日突然この世を去った。
まだ若く働き盛りの彼だった。
少し前から体調を崩し自宅療養を続けていたが、食べたモノが合わず
ウブドの病院からデンパサールの病院に転院する間の一時帰宅中に急変したのだった。
家族に囲まれ、住み慣れた家で最後を迎えられたのがせめてもの救いのように思われる。彼は、とてもジョーク好きの誰からも慕われる気さくなオジサンで、いつも皆の中心で誰かを笑わせてくれていた。  マハーバラタのアルジュナのように。。。

報せを聞いて駆けつけた時、自宅のベットで横たわり、まだぬくもりを感じる事が出来た。バリ島では亡くなると、日本で言うお通夜のような儀式が悲しむ間もなく、すぐに始められる。駆けつけた私も報せを聞いて放心状態の最中、ユダさんにサロンを巻きなさい!と言われ、彼の自宅に向かったのだった。

バリ島では、亡くなられた方の家にお米や砂糖、儀式に使う布等を持って弔問に伺います。これから執り行われる儀式で使われる大切な必需品をまず届けるのです。その後、夜になるとたくさんの村人達、知人達が弔問に来て死者を弔います。それは一晩中続くのですが、男達は夜通しカードをして夜を明かします。そこには、死を悲しむ涙もありません。

次の日、死者を土に埋葬する土葬式の儀式が執り行われます。(その後、決められた時期に火葬式を改めて執り行います。)お昼遅くから次々と土葬式を見守る為に弔問客が訪れ、やがて家族によって遺体を聖水で洗い清める儀式が始まります。

遠くで見守っていた私は、淡々と執り行われる儀式をバリ人のように涙も見せず毅然した態度では、見届けられませんでした。儀式が始まるまでは涙も出なかった私ですが、儀式が始まるや否や涙を止める事が出来ません。号泣して鼻をすする私を、回りのバリ人は淡々と見つめ呆れ返っていた事でしょう。儀式が終わって、遺体を村の共同墓場まで運ぶのですが、この時点で殆どの弔問客は帰ります。遺体が運ばれて行った後も号泣し続けていた私にあるBapakがそっと囁いてくれたのです。

みんな彼を亡くして寂しい。だけど、涙を流すと彼の魂が悲しむ。
mati hidup seseorang Tuhan yang menentukan 
人の生と死を決めるのは神様なのだから。。。

ユダさんにも後日、こう言われました。遺体を聖水で清める時
涙が死者の体に落ちると死者の魂が悲しみ、魂がさ迷ってしまうのだと。

バリ人の死の観念。
それは死んだあと、人の魂はまた生まれ変わると信じられており、火葬式までの儀式をしっかり行わないと魂は生まれ変わることができないと、言われています。
人間はパンチャマハブタから出来ていて、それは5つの物で成り立ちます。
土(プルティウィ)水(アイル)火(テジャ)風(バユ)ガス(エタル)
人が亡くなるとこのパンチャマハブタに戻す為に火葬式を執り行うそうです。
その後、焼かれた灰をまとめて椰子の実の中に入れて海へ流し、12日後にニュカというお祭りを行い、海にお供え物を捧げて再び魂を呼び戻します。そしてゴアラワの寺院にお祈りし、続いてベサキ寺院にお祈りをし、それぞれの家のサンガに座らせます。
毎朝お料理した後に、ご先祖様に感謝する為にお供え物をサンガに捧げます。
そして魂は、また自分の孫などに生まれ変わるとされています。
もちろんカルマによって良い所に生まれ変わる人もいれば、悪いところに生まれ変わる人もいるそうです。だから人間は完全ではなく、出来れば生きている間にたくさん良いことをすれば今度生まれ変わる時に幸せな人に生まれ変われるそうです。また、そうしないとサンガに戻って来れず、生まれ変わる事も出来ず、魂はさ迷い続け30年火葬式をしないと悪霊になってしまうそうです。

涙を見せないバリ人。感情を表に出すと恥ずかしいとされるバリ人。
涙を堪えて、淡々と儀式を執り行うその心の奥には、バリ・ヒンドゥーの教え、
輪廻転生の考えがしっかり刻み込まれているからに違いない。

折りしもバリ島は今、火葬式(ガベン)の季節。
たくさんの魂がまた、輪廻転生を迎えようとしています。

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8月に行われたウブド王族のガベンの様子。

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9月22日に行われたマス村のガベンの様子。


土葬式を遠くから見守りながら、涙を堪えそっとお別れを言いました。
アルジュナよ、永遠に。。。 Sampai Jumpa Lagi!!





| お祭り | 19:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ますますクニンガン・・・・

15日から開催されていたタマン・プレ寺院でのクニンガンによるイベントも、ようやく本日20日の午前中をもって終了致しました。
お隣のお寺から朝早くから軽やかなガムラン隊の音色で始まり、どうやらこれがクニンガンの終了を意味する(神様に終了のご挨拶)ガムランの音色でした。

お祭り本番16日が過ぎ、17日18日はますますクニンガンも盛り上がりを見せました。
特に18日のGenta sidhiの公演は、バンジャールの屋内で行われるのではなくその外で大掛かりなセットを広場に設置した野外での公演となりました。お面踊り(トペン)や前衛的な踊り、そして大きな白いスクリーンを用意し、大きな影絵まで登場したとても面白い舞台でした。

バリ島では、おなじみのBALI TVやジャカルタから来た劇団のドキュメンタリー撮影をしていたクルー達等、様々なマスコミ関係者が取材に来ていたようです。

毎夜、お寺の横の広場に出されたナイトマーケットへ行き、安売りをしている布屋さんで布をあさったり、変わった時計やおもちゃを売っているお兄さんを冷やかしたり、ナシ・チャンプルやジャワのソト・アヤムを食べたり、踊りを見るまでの間かなり楽しめました。^^

今まで朝から深夜までかなり賑やかだったので、少々寂しくなった気がありますが、今はお祭り後のお掃除やゴミを焼く煙で、ハウス中・事務所中、もやが掛かっております。T_T 朝から鼻水が止まりません。。。

何はともあれ、クニンガンもようやく終わりました。。。。
以下は、期間中のお祭りの様子を一挙公開です。ご覧下さいませ★

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それでは皆様、210日後の次回のクニンガンをお楽しみに★





| お祭り | 18:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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