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シリーズ:バリ人化について語る⑤流れのままに・・・

しばらくご無沙汰だったこのシリーズ。日々の雑多な仕事に加え、お祭りやら何やらでかなり忙しい毎日を送っていた。それに加え、私を取り巻く環境がここ数カ月でがらりと変貌したからだ。

まずは、子供の存在。はっきり言って私はそう若くない。
40を超えての子育ては思った以上に肉体的にかなり厳しいところがある。
昼間は仕事があるので家族やスタッフが面倒を見てくれているが、問題は夜。
2時間おきに愚図り、体力が有り余っているのか暴れ倒し、ようやくミルクを飲んで寝てくれる。Susu(おっぱい)の出ない私は、彼が起きるたびに新しいミルクを作り続けるのだ。

だから、私はかなり痩せた。病気かと思うぐらい急激に痩せたが、原因はおそらく睡眠不足かと思われる。人は寝ないと死ぬと言うが、どうやら本当らしい。

時には、なかなか寝てくれない彼にイライラして滅入り、抱っこしながら夜中、涙を流すことも正直あった。だが、精神的にはかなり満たされている。彼のおかげで、学ぶ事、救われる事、人の本能と言うのを知る事が出来る。そんな瞬間を実感するたびに、肉体的な負担をひとつひとつ埋めてくれるのだ。


そんな中ようやく子育てにも慣れ落ち着きだした頃に、ある日突然、夫がマス村の村長になってしまった。以前から村長選挙に出たいとは言っていたので、突然ではないと言えばそうだが、私にとっては突然にひとしい。
なぜなら、そんな事があり得るはずがないと思っていたからだ。夫には言えないが・・・

ところが、それが現実になった。本当になってしまったのだ。5月初めの選挙日、開票が終わって夫が圧勝したと分かった瞬間から本当にめまぐるしく状況が変わり、そして感情も変わって行った。

まずは全く夫を信用していなかった悪妻のわたし。心の中で夫に謝りました。これからは信用しなかった分、多少の支えになる事を決心したのです。ところが、私が考える多少の支えは、ここバリでは想像を絶するものでした。日本で言う内助の功ならぬ、一歩下がった奥ゆかしく慎ましやかな支えのはずだったのですが、私の中のキャパスティーをかなりオーバーした世界だったのです。


バリでは、男社会と女社会がはっきり分かれている。言わば、役割分担が完全に違うのだ。
村長は、バリ語でPrebekelインドネシア語でkepala Desa (KDS)。
村の婦人部Ibu PKK(Pembinaan Kesejahteraan Keluarga) は、ほぼ自動的にその村長の妻がKetua PKK Desa(婦人部のトップ)として就任する。

そんな。。。聞いていない。インドネシア語もままならない私。ましてやバリ語の飛び交うディープ過ぎる村の仕来たり等、少し長くバリに居たからと言って外国人の私が、きちんと役目を果たせるはずがない。

そこからが、私の新たな苦悩が始まった。
夫の当選後から就任式までの約1ヶ月、先の見えない村の仕事とイブイブ達との関わり、そんな様々な事を考え過ぎてか私は、この頃かなり体調を崩した。ある夜、思いつめた私は深夜、夫の枕元に立ちバリ人としてまだまだ未熟者の私がこれから先、マス村のPKKのトップとしての役割を果たせるはずがない。どうか辞めさせて欲しい。と泣きながら懇願した。
びっくりして飛び起きた夫だったが、次の瞬間いかにも役人らしい口調で、君はノモール・サトゥ(NO1)ではなく、ノモール・ドゥア(NO2)です。IbuPKKとしてやれる自信があるならしても良いけれど、今よりもっと忙しくなるし、おそらく無理でしょう。と言ったきり再び寝入ってしまった。

え~~飛んだ取り越し苦労だった私。ようやく肩をなでおろし、元の穏やかな日々が戻った。
そんな矢先、就任式前日に急きょ、夫から呼び出され2人で村の事務所へ行く事になった。村のイブイブ達の代表達に夫がバリ語で懇切丁寧にスピーチをした。妻がバリ人ではなく外国人である事。アガマヒンドゥーの何たるかもまだ理解出来ず、マントラも唱えられない妻がPKKのトップとしての役割を果たせない。しいては、イブイブ達の間でそのトップを決めて欲しい。と、夫と共にお願いしたのだった。

ところが、その若き次期村長の熱意に感動したのか、あろうことか
「何を言うのですか、Prebekel。Ibu KDSは貴方の妻Ibu Yukiしかいない。分からない事があれば、私達がフォローするから勉強しながら私達と共にマス村の為に頑張りましょう。」

え~そんな。。。ここでようやく夫の策力に気が付く私でした。
こちらから頭を下げ、助言を求め、許しを請いながらもあの屈強なイブイブ達に理解だけでなく、惜しみない協力をも約束させてしまったのだった。いかにもバリ人らしいやり方で!
我が夫ながら恐ろしい。。。
そうやって夫は、村長になるべく気がかりな問題を一つ一つ解決し、土台を固め、就任式を迎えたのでした。
I Love Mas★ユダ放浪記


その後どう喚き倒しても無理と悟り開き直った私は、この誰にでも体験できないであろう立場を味わう事にした。
それからというものこの1ヶ月でもIbu PKKとして度々活動の機会があった。
クリニック・マスで行われたインドネシアビジネスレディのグループ「IWAPI」が主催する「ビジネスレディによるストレスフリーなビジネス」と題して、インドヒンドゥーの有名なシスター:Meera Nagananda女史を招いたメディテーションの講演会。バンジャール・サットリアによる若者たちのロンバ(大会)式典。その他、PKKの定期ミーティング等。かなり忙しいスケジュールを今のところ何とかこなしている。

現に今も村の役員達総勢120人程でバスを3台借り切って、パダンバイの海を見下ろすお寺にスンバヤン(お祈り)しながら交流会の為、庭園の美しいタマン・ウジュンへ向かうバスの中で書いている。今では、たくさんの人達の前でインドネシア語でのスピーチまでこなしている。もちろん、カンペありで!


村長夫人になる為にここバリに来た訳ではないけれど、
バリのイブイブ達の人生を刻む、あのアンケンの上にたくましくのしかかる背中のぜい肉にかけて、今後私も微力ながらマス村の為に力を尽くしたいと思う。

あの美空ひばりの名曲が心に染みる今日この頃だが、
私もしばし、流れのままに生きてみよう。


マス市場の前の村の役所
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いざ、タマンウジュンへ
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BapakBapakのスンバヤン
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タマンウジュンのバレでの交流会
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最近とても美しくなったタマンウジュン
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皆の前でスピーチを終えてリラックスするマス村の村長です。
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| まとめwoネタ速neo | 2012/07/12 01:30 |

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